|朝露と霜柱|
朝露の神様の長男と
霜柱の神様の末息子
秋には神様が集まって話し合いをする。これまでの1年を振り返り、この先の1年を調整する。
朝露の神様はお子の全員を連れて、霜柱の神様は末っ子だけを連れて来ていた。
会合のあいだ暇なのでお子たちはそれぞれ島の好きなところへ出かけていった。
霜柱の末っ子が今年生まれの狼と遊んでいると、同じ崖に朝露の長男が海を見に来て、ちらっと目が合う。
ふたりは季節が違うのでほとんど初対面だ。朝露のほうが先にぺこっと頭を下げる。慌てて霜柱も倣ってぺこりと挨拶をした。
どうしよう、何か話すだろうかと霜柱が戸惑っていると朝露は若い狼にも挨拶して、ゆったり座り撫ではじめる。
「オルカの虹はもう見ましたか」
「いいえ、はじめて聞きました」
「オルカが息を吹くときに、おひさまの加減で虹が出るんです」
「きっときれいですね」
朝露の明るいみどりの瞳が霜柱を見ている。視線のまっすぐさにどきどきして、霜柱は目を伏せた。
それからちょっとずつの話題をふたりはしばらく続けていた。
季節外れのえぞわたすげがふわふわ揺れていましたとか、あっちの湖にはちょっぴりいびつな毬藻があるんですとか、向こうのほうでいままさに火山が割れているんですといったことをつらつら話すうちに霜柱はだいぶ緊張がとけてきて、朝露の目を見てそっと笑うようになった。凛としてるけど怖いひとじゃないんだな。もっとお話ししてみたい。
退屈でうとうとしている狼を挟んで座っていたけれど、狼がふいっと立って伸びをしてばいばいと群れに帰ってしまったのでぽっかり隙間があいた。
こちらに詰めてくれるかな、と霜柱は思ったけれど朝露は礼儀正しく距離を保ったままだった。冬の訪れをはらんだ風が海から吹きあがってくる。突風にあおられて髪が跳ねるのをたまに直しながら、氷河の青さについて朝露が話すのを聞いていた。
瞬く間に時が過ぎ、夕方になってしまったのでふたりはそれぞれの仮宿に帰ることにした。
「また明日会えますか?」
遠慮がちに霜柱が言うと、朝露がにこっと笑った。
「ぜひ、あの崖で。」
朝露と話したことをどれも、霜柱は記憶の宝箱に並べて詰めた。毬藻の本場は遥か彼方東の島なんですという話が1番気に入ったので、なんども思い出して空想していた。夏でも冷たい湖にひとかかえもある深緑の珠がころころ揺れている。彼なら、深い湖でも豪胆に入っていくんだろうか。聞いてみよう。
夜には夜組の神様が自分たちの担当のことがらを決めていく。朝になると昼組に引き継いで交代する。
霜柱が崖まで駆けていくと朝露はもう座っていて、手をふってくれた。
茶色の髪とみどりの瞳が朝日できらきらしていて、眩しい。霜柱は目を細めて笑いかけた。
朝露はやっぱり礼儀正しくいったん立ち上がって迎えてくれた。
「楽しみだったので、早起きしてしまって。朝日が昇るのを見られました。海鳥たちともすこし話せました。」
「こちらは眠れず、結果として寝坊をしてしまって。」
「お気になさらず。会えて嬉しい。」
率直なことばにふわっと胸があたたかくなる。
毎日狼ひとり分の距離をあけて並んで座って、ふたりの話は尽きることがない。
湾には氷河からの塵が流れ込み濁って、水中にひかりが通らない。浅い入江に深海のさんごが群生している。
「黒珊瑚もあります。でもあれ、ぱっと見たら白なんです。」
「ああ、骨格が黒なんですね。」
ときどき空の高いところに十色に光る雲が出る。
「綺麗なんですけど、喜んでだけはいられないんです。」
「わかります、空を溶かすので。」
「柱状節理から流れ落ちる滝が素晴らしくて」
「お好きですか。いいですよね。黒砂の海岸も好きです。」
「そっちにもありますね、六角の岩たち。」
「あなたと夜明け前を散歩できたらどんなにか楽しいのに。」
「では明日は早く起きて抜け出して来ます。」
海の側から空が白らんで、内陸はまだ青い闇が残っている。星がかすかに瞬いているけれど、それもまもなく朝日に消える。
とうとう神様の会合が終わる日になった。
霜柱が寂しさを隠しきれずに、話しかけようとしてやめるというのを何度か繰り返していたら朝露が思い切ったように振り返った。
「もし、来年の会合までに。どんなに寒くても凍らない誓いをこの身に掛けられたなら、ずっと隣にいてくれますか。」
霜柱は息を飲んだ。
「では、自分も。どんなにあたたかくても溶けない誓いをこの身に掛けます。あなたと共にいられるなら。」
そうして来年の約束をしてふたりは離れ離れになった。
息子から、その誓いをするのだと聞いた朝露の神様は少し黙ってから念を押した。
「それはもう朝露の神の一族ではいられないということだ。神でもなく人でもなく、精霊でもない。それでいいのか。」
「はい。」
霜柱の神様も確認せずにはいられなかった。
「あとで後悔しても遅いんだ。」
「後悔しません。」
心配でいたたまれなくなった霜柱の神様は息子に特別な果実を持たせた。
最後に親孝行しようかなとおもって霜柱は受け取るだけは受け取った。誘惑の果実、朝露に会う前にこっそり埋めてしまおう。
神様と精霊と人間、という大きな理から外れるための誓いを立てる。
世界は那由多の理で出来ていて、けれど主な流れから外れていくのはそれなりに危険があるし努力が要るものだった。
ゆっくり作り変わっていく身体に振り回される。不快感と高揚感に襲われて、意思はあまり役に立たない。透き通っていた指先から、肉がうまれ血が通い、骨がきしむ。
霜柱は、はやく朝露に会いたいとそれだけを思って耐えていた。相手もきっと会いたいと思ってくれている。ここを乗り切ったらずっと一緒にいられる。
朝露はたしかにつらかったけれど、霜柱の心配をしていた。ひとりでこの変化に向き合っているなら、心細く思っているかもしれない。肝心なときについていられないなんて悔しい。
次に会えたら2度と離さない。
長い冬を越えて短い春と夏がすぎ、おひさまが沈む秋が来て、神様たちが会合をする時期になった。
毎年のように神様たちが北の島の社に消えていったあと、海を見渡す崖で朝露と霜柱は再会を果たした。
お互いに駆け寄って、けれど狼ひとり分の距離で立ち止まる。
「誓いは完成しました。」
「どんなときも、どんなことが起こってもあなたと一緒にいられます。」
朝露は恭しく、霜柱は勢いこんで、声が重なった。
ふふっと笑って朝露が両手を広げたので、霜柱は一歩踏み込んで身を寄せる。
季節外れのえぞわたすげの向こうから、狼が遠巻きに見守っていた。
いつからか、崖の上に北の島では珍しいほどの大木があって、その実を食べると好きなひとととても仲良しになれると言われている。